最重度心疾患・左心低形成症候群を持つ息子がいる病児おかん。「家族だけでなく、社会でも一人の人として必要とされたい‼」想いで日々邁進中

左心ちゃん、幼稚園生になる【フォンタン術後153日】

ひなみ
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先天性心疾患の中での最重度に位置する「左心低形成症候群」とともに生まれた次男との生活の中で、病児ママ・ファミリーに対する心のサポートの必要性を感じるようになりました。当事者だからこそ分かり合える、本音を言えるそんな人になれればと、再スタートの準備中。

こんにちわ、ひなみです。
過去記事になってきますが、綴っていこうと思います。

我が家の左心ちゃん(次男)ですが、9月より幼稚園に入園しています。

私としては病児であっても、ハンデがあってもできるだけ普通の子供(健常児)と同じように生活・育てていく気持ちがあり、
これまでも在宅酸素をしていても、公共の場(子育支援施設等)に連れて行ってました。
家で母とばかりいても本人のためになることは少ないと感じていたからです。

それを改めて思ったのも、左心兄のことがあったからです。
左心兄は1歳で保育園(無認可)に入りました。
その頃義父母と同居しており、俗にいう”65歳の壁(65歳未満の同居人がいる場合、保育可能とみなされポイントが下がる)”により、
認可保育園入園自体が通常よりも難しいと役所で言われました。
職場自体延長できる状態ではなく、仮に翌年まで待ったとしても入れる保証はどこにもありませんでした。
義母の65歳までは数年あったこともあり、無認可を選択せざるえなかったのが事実です。

義母と不仲ではなかったものの、”孫には責任ないから(自分の子供でないからある程度の責任はないという意味)”といってのけた義母への不信感、
近所に同年代の子供がおらず、私が少し散歩に連れだそうとすることすらいい顔しない義母に預けるという選択肢はありませんでした。

”左心兄の世界観が狭まってしまう”

であれば、多少お金がかかっても(まだ保育無償・補助化にはなっていませんでした)社会勉強と思って外に出したほうが絶対良いと感じたからです。
実際お金はかかりましたが、少人数で縦割り保育により左心兄はいろんなことを学び、幼稚園への途中入近所園でもスムーズにすることができました。

そのことがあるため、主治医の許可さえ下りれば保育園でも幼稚園でも行かせたいと思っていました。

術後何度か緊急入院があったものの、状態はかねがね安定とのことでようやく許可が下りたのが3歳の誕生日頃。
それまで数か所の幼稚園のプレ保育の説明会を受けつつ、2か所の幼稚園に申し込みをしていたところ、第一希望の幼稚園からプレの空きが出たとの
連絡をいただき、面接を経て無事入園に至りました。

正直少子化だというのに、幼稚園に入園すること自体保育園に入るのと同じくらい難しくなっている中で、
左心ちゃんが入園できたことはラッキーだったとも思います。

もちろん入るためにはある程度の準備はしていきました。
園側ともしっかりと話し合い、その中で許可をいただけたと思っています。

園活については、また別記事で書こうと思います。

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先天性心疾患の中での最重度に位置する「左心低形成症候群」とともに生まれた次男との生活の中で、病児ママ・ファミリーに対する心のサポートの必要性を感じるようになりました。当事者だからこそ分かり合える、本音を言えるそんな人になれればと、再スタートの準備中。

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